鏡治療

事故や手術で腕や足を切断した人の中には、現実には無いはずの腕や足がまだ有るように感じてしかも激しく痛む不思議な現象があります。幻の手や足ということで幻肢痛と呼びます。
何故このようなことが起こるのか詳しくはわかっていませんが、例えば脳は腕を動かすという指令を出すと、腕が動くことで発生する体性感覚(筋肉や関節の曲がる感覚、腕の位置感覚)や視覚的感覚が戻ってくる(フィードバック)ことを期待して待ち受けます。ところが腕が無くなってしまうとそれらの感覚がフィードバックされないため、感覚の葛藤が生じてそれが増幅されると痛みとして感じると説明されることもあります。
脳の一次体性感覚野という場所には体の各部分に対応する場所が決まっていてペンフィールドのホムンクルスと呼ばれます。

切断によって手を失うと、一次体性感覚野の手を感じていた部分には信号が来ないので脳細胞はそのすぐ近くの顔の部分に入ってくる神経と連絡回路を形成することが知られます。切断前は手に対応していた部分に顔の部分が拡がってきて一部重なります。幻肢痛の人の頬を触ると無いはずの手に触られているように感じるのはこのためだと説明されます。
アメリカの神経科医であるラマチャンドラン博士は鏡箱を考案し、健常な腕や手を鏡に映すことで、切断して無くなった手や腕がそこに実際あるように錯覚させ、視覚的な感覚を脳にフィードバックさせることで幻肢痛を和らげることに成功しました。

何故バーチャルリアリティを応用するのか

痛みの治療で訪れたペインクリニック外来での治療も痛かったら?これはコントの一場面ではありません。ペインクリニック治療の重要な柱のひとつにブロック療法があります。針を刺すため痛みを伴います。効果的な治療方法なのですが一部の痛みにはあまり効果がありません。幻視痛もその一つです。新しいアプローチでの治療法が必要です。また痛い時には気分も落ち込みます。治療自体に“喜びや楽しさ”がある方がいいと思いませんか?われわれがバーチャルリアリティを思いついた一番の理由です。

簡単な鏡の箱でも有効なのに何故わざわざバーチャルリアリティを応用する必要があるのか?答えはやはり“楽しさ”です。鏡に映った手を見るという単純な作業をどれくらい続けられますか?バーチャルリアリティという現代の技術を応用することで、治療に娯楽性(ゲーム感覚)が加味されます。治療に集中(没入)できる結果、優れた鎮痛効果と治療期間の短縮を目指しています。

バーチャルリアリティ応用鏡療法はどんな痛みに効果があるのか?

バーチャルリアリティの世界を構築するためには特別な装置が必要となります。手や指の動きの再現にはデータグラブという手袋を使用します。
残念ながら足の動きを再現するデータソックスのようなものは現時点ではありませんので、必然的に手や指の痛みの治療に限定されます。

岡山大学病院ペインセンターでは幻肢痛腕神経叢引き抜き損傷あるいは複合性局所疼痛症候群(CRPS)などの手や腕の痛みの治療にバーチャルリアリティ応用鏡療法を試みています。
2012年1月からは新しいシステムで治療を行っています。仮想空間が鮮明になり、掴むことができるターゲットの種類が増えました。

バーチャルリアリティ鏡治療の実際

バーチャルリアリティ鏡治療システムは岡山大学病院ペインセンターに設置しています。
現時点ではバーチャルリアリティ鏡治療単独での疼痛緩和は試みておりません。ペインクリニック外来で通常選択される治療法(点滴治療、内服治療や場合によってはブロック治療)と併用しております。例えば外来での週一回程度の治療や疼痛管理目的での入院下では連日・集中的な治療を受けることも可能です。治療効果が短時間で劇的に現れる場合もあれば治療を繰り返すうちに少しずつ痛みが軽減する場合など効果は様々です。勿論あまり効果がない場合もあります。
バーチャルリアリティ鏡治療のもうひとつの利点は体に害がないことです。針を刺したり、薬物を使わないので安心です。

バーチャルリアリティ鏡治療の治療費

バーチャルリアリティ鏡治療には治療費はかかりません。正確にいえば治療費を請求することはできません。ペインクリニックの領域で選択される点滴治療や内服治療あるいは場合によってはブロック治療を併用しています。

研究としてのバーチャルリアリティ鏡治療

慢性痛とくに神経障害性疼痛といわれる痛みでは、傷はすっかり治っているのに痛みだけが持続します。その原因の一つとして、脳での痛みの認知様式が変化していることや我々に生来備わる痛みを抑えるシステムがうまく働かないことなどが明らかになってきました。
その解明に大きな役割を果たしているのが脳機能画像研究です。岡山大学病院ペインセンターでも機能的MRIを用いて手の痛みの患者さんでは痛みの認知のされかたがどう変化しているのかを調べています。

手の痛みの患者さんでは、痛みを誘発(手を握る動作を繰り返す)した時に、前帯状回皮質や前頭前野背外側部の活動が抑制されることなどがわかってきました。これは同じ動作を繰り返しても痛みが誘発されない健常者ではみられません。

日本学術振興会科学研究費 萌芽研究 17659487
仮想現実・擬似体験訓練による神経因性疼痛に関する研究
日本学術振興会科学研究費 基盤C  20591831
難治性疼痛に対する仮想現実鏡治療の効果検証
日本学術振興会科学研究費 基盤C  23592290
オンデマンド・バーチャルリアリティ鏡治療の難治性疼痛治療への応用

家庭用バーチャルリアリティ鏡治療システム(簡易版)の開発

バーチャルリアリティ鏡治療には特別な装置が必要です。これらは高額でしかも大掛かりであるため、現在岡山大学病院のペインセンターにしかありません。この治療をうけるためにはペインセンターの外来に通っていただくか、暫く入院していただく必要がありました。自宅で同じ様な治療ができれば患者さんの負担も軽減されます。
また慢性痛とくに神経因性疼痛といわれる痛みがなかなか良くならないのは脳での痛みの認知様式が変化していることが原因の一つだとご説明しました。この脳の中の変化を元に戻すためには、集中して根気よく鏡治療を繰り返す必要があります。家庭用の簡易版鏡治療システムがあれば、空いている時間に好きなだけ行えるので治療効果も上がることが期待されます。
岡山大学病院ペインセンターでは岡山大学工学部との医工連携の取り組みとして、家庭用ゲーム機のリモコンを使った簡易版のバーチャルリアリティ鏡治療システムを開発し、さらに精度を向上させより安価なものに改良しました。
非常に安価でご自宅に治療システムを構築することができます。ペインセンターでのバーチャルリアリティ鏡治療とご自宅での家庭用バーチャルリアリティ鏡治療を組み合わせることでより高い鎮痛効果がもたらされると期待しています。