チーフレジデント西村先生、チーフフェロー清水先生、教授賞佐藤先生でした。
2020.07.28 お知らせ
新人スタッフの履歴書
2020.07.27 お知らせ
私は昭和58年に徳島県で生まれました。小学2年生までは、かつて「やまびこ打線」で高校野球界の一世を風靡した池田高校のある徳島県池田町で過ごしました。その後、父親の転勤に伴い、徳島市の近くの町に引越し致しました。
小学校・中学校は地元の公立学校に通い、部活に明け暮れておりました。特に中学の時の部活は野球部と駅伝部でかなりハードでした。朝練で5kmぐらい走って、夕方は野球の練習の後に6-8kmぐらいスピード練習をしました。野球は体格も良くなく才能もなかったので、あまり冴えませんでしたが、駅伝部では県内60校ぐらいの中で4位とそれなりの成績を収めました。この時代の厳しい経験が後の受験勉強や初期研修医時代の辛い時の支えとなりました。
高校は徳島市内の県立高校に進学しました。当初は医学部に入るとはゆめゆめ考えておりませんでしたが、高校2年生の時の同級生に医学部を目指そうと誘われて、医学部を意識するようになりました。就職氷河期とも言われた時代であり就職に困らないイメージがあったこと、せっかく大学に行くのであれば学んだことを活かせる仕事に就きたいと考えたことも後押しをしました。成績はあまり優秀な方ではありませんでしたが、目標が決まってからはかなり頑張りました。結果として現役で岡山大学医学部に入ることができました。
大学では硬式テニス部に入部し、部活中心の生活でした。テニスは個人競技でウィンブルドンのような紳士なスポーツのイメージでしたが、医学部のテニス部はかなり違いました。1ポイントを奪うではなく、失わないことが重視されます。ミスでの1ポイントとスーパープレーでの1ポイントは同じです。泥臭く相手のコートに返し続けてミスを誘うメンタルを試される感じでした。8時間を超える試合も経験しましたが、自分が苦しい時は相手も苦しいと言う勝負の鉄則を胸に耐え続けるテニスで大学から始めた割には比較的強くなっていたと思います。その仲間は現在も繋がりがあり、他科との連携が重要な麻酔業務にも活きております。また岡山大学の麻酔科の門を叩くことのきっかけとなった前教授の森田潔先生と杉本健太郎先生との再会もテニス部の繋がりがあってこそだと思います。
医師となって最初の卒後臨床研修は沖縄の浦添総合病院で行いました。なぜいきなり沖縄かと思われると思います。1つは想像通りで、沖縄という土地が魅力的に感じたからですが、それ以外にも救急医療が充実していること、部活の先輩がいたこと、他大学出身者と共に研修できることなどがあげられます。実際の研修はなかなかにハードでした。救急の当直が月に8回近くあることもしばしばあり、辛い時期もありましたが、沖縄という土地柄や同期、病院スタッフにも助けられました。そのような中で当初は、循環器内科医を目指しておりましたが、循環器内科を回ったときに緊急心臓カテーテル治療にテンションの上がる上級医を見て、自分には合わないと感じました。また、沖縄という土地柄もあるかもしれませんが、冠動脈疾患に関しては生活習慣病の積み重ねで自業自得な面もあり、その尻拭いをしている感じもして、熱意を失ってしまいました。
麻酔科に決めたのは初期研修の終わりの方でした。麻酔科は学生時代には全く考えていませんでしたが、初期研修で回ってから麻酔科に興味を持ちました。理由としては患者さんの全身管理ができること、心臓麻酔を含めてダイナミックな循環管理ができること、痛みに興味があったこと、On-Offが明確なことなどが主な理由です。その中でも、特に痛みには非常に興味がありました。なぜなら、私自身が痛みが嫌だからです。初期研修の先生に自分が患者さんの立場に立って考えろとよく言われておりました。どうせ人は何らかの原因で死ぬものであり、心筋梗塞で死ぬのか大腸癌で死ぬのかどちらが良いのかは自分でも分かりませんでしたが痛み苦しみながら死にたくはないと思っておりました。また、自分が高校の時に気胸になって胸腔ドレーンを入れられ、かなり痛かったですが、看護師にはなかなか理解してもらえなかったのを鮮明に覚えており、痛みは他人には理解しにくいものだという自己体験も影響しました。初期研修で外科医が痛みに無頓着であったことも後押しし、麻酔科で痛みに耳を傾けられる医師になりたいと思いました。
ペインクリニックについて知ったのは3年目の麻酔科後期研修の時です。麻酔科の先生から近くでペインクリニックを開業されている先生がいらっしゃるので2ヶ月間の研修をしてきて下さいと言われました。そこは牧港クリニック痛みセンターでNTT東日本関東病院で研修された平良豊先生が院長でした。まだペインの知識があまりない状態で研修をスタートしたのですが、そこで平良先生の診療を見て非常に衝撃を受けました。私は麻酔科医としては駆け出しの頃で硬膜外すらなかなか入らなかったのですが、硬膜外ブロックを含めたブラインドでの様々なブロックをさくさくとこなしていき、1日に60人ほど診察されていたのがとても格好良く感じました。また入院患者さんに心理テストを用いて、精神的な痛みと見抜いていく姿も多面的な診療で面白さや奥深さを感じました。将来は平良先生のようなペインクリニシャンになるという思いを固めました。
4年目からは神戸市立医療センター中央市民病院というところで麻酔科後期研修を始めました。ペインクリニシャンとなるには麻酔科専門医など何らかの専門医が必要でしたので、まずは周術期麻酔と集中治療が充実している病院で研修し、麻酔科医としての力をつけたいとの思いでした。沖縄時代の先生から神戸の病院を紹介されたのですが、この病院での研修も非常に充実しておりました。病院の医師が250人中150人が初期研修医・後期研修医で構成されており、若手同士が切磋琢磨し、活気ある診療がされておりました。麻酔科研修も2年目で周術期経食道心エコー認定試験(JB-POT)に合格することが必須とされており、プレッシャーはありましたが無事合格できました。集中治療では、瀬尾龍太郎先生というかつて自治医大の麻酔科教授でありました瀬尾憲正先生の息子さんですが、非常に聡明な方にご指導頂けました。集中治療に関することは勿論ですが、倫理的なことや教育に関することなどそれ以外のことも色々なことを教えて頂き、私自身は強い影響を受けました。
今後をどうしていこうか考えている頃、朝の麻酔導入前に病院PHSに着信がありました。院外からでこの朝早くから誰だろうと思い電話に出ました。「杉本ですー。どうしてますか。森田先生が荒川のことを気にされてて今度良ければ食事でもどうですかー。」と先述の部活の先輩である杉本先生からでした。神戸の病院は麻酔科学会事務局が徒歩圏内ということで麻酔科学会理事長をされていた森田先生が近くにしばしば来られるので食事を一緒にどうですか、とのことでした。用件は岡山大学に戻ってこないかというお誘いと思っておりましたが、流石に懐が深い方というか意外とその会食の場ではそのようなお言葉はありませんでした。もちろん、後に杉本先生からお誘いがありました。卒業後は岡山大学から距離を置いていたことや伝統ある岡山大学麻酔科でやっていける自信がなかったことで不安いっぱいでしたが、留学も視野に入れて大学院に入って戻るのも悪くないとも思い始めました。その後の大学見学の際に、医局長であられた現在の森松博史教授とも面談し、「これからは医局というものに縛る時代ではないので、ある意味でいいように大学を利用して下さい」という柔軟な発想の一言に感銘し、大学院生として岡山大学麻酔科蘇生科に所属させて頂く決意を致しました。
岡山大学麻酔科蘇生科に入ってからはご存知のことかと思いますので、手短に致します。初年度は医員として、これまでの常識としていたこととの違いに苦しむ場面もありましたが岡山大学麻酔科の雰囲気を味わいながら様々な経験ができました。また、上級医の先生を含めた層の厚さに圧倒されました。2年目からはペインの基礎研究で、賀来隆治先生・松岡義和先生のご指導の元、大学院生として研究の難しさを教わりました。願わくばもっと手厚くご指導頂ければと思う場面もありましたが、上級医の先生の多忙さは承知しておりましたので、臨床科における大学研究室の厳しさも感じるところでした。研究室としては4年間で、研究による苦悩で体調不良・不眠を来たすこともしばしばでしたが、森松教授を始めとした多く方々のサポートのお陰で論文として結果に残すことができました。
大学院卒業の目処が立った頃に、私の積年の願いであったNTT東日本関東病院での研修をお願い致しました。断られることを覚悟で森松教授に上申したところ、快諾下さり本当に有難く感じました。この研修も岡山大学麻酔科のお力添えがあってこそでした。岡山大学のペインを長年支えて来られた姫路赤十字病院の石川慎一先生や川崎医科大学附属病院の西江宏行先生が先方にご連絡して下さったことや先方の先生方も岡山大学麻酔科ということで見知らぬ私を信頼して下さり多数の希望者の中から採択して頂けました。研修内容としては、私の望んでいたもので痛み治療の中でも神経ブロック治療を中心とし、患者様の痛み治療について毎日真剣に考え、治療をしていく日々でした。特に部長の安部洋一郎先生は神経ブロック治療のエビデンスが乏しい中でも臨床での有効性を実感されており、針1本分の違いを実践される先生で「すご腕Dr」というT V番組にも出演されました。当初は1年の予定でしたが、神経ブロックの手技は簡単に身に付くものではないため、1年延長をお願いして2年間の研修期間を頂きました。2年で全てができるようになった訳ではありませんが、多くの症例を経験し、ある程度の自信はつけることが出来ました。
2020年4月新型コロナによる非常事態宣言が出る前に、NTT東日本関東病院での研修を終え、岡山大学麻酔科に戻って参りました。森松教授から岡山大学のペインセンターを盛り上げて欲しいとのお言葉を頂きました。まだまだ若輩者で技術量や経験値は少ないですが、ペインに対する情熱は日本の中でも決して引けを取らないという自信は持ちました。今後は岡山県内はもちろん中四国で痛みで困っていらっしゃる方々に神経ブロックを中心とした質の高い痛み治療を提供し、麻酔科を含めた医療従事者や一般の方々にも認知度・信頼度を上げられるように努力し、日本や世界に痛み治療について発信できるよう日々精進していきたいと思います。今後ともご指導ご支援のほど何卒よろしくお願い申し上げます。
13ヶ月コースリポート
2020.07.01 お知らせ
- 自己紹介
医師3年目、麻酔科1年目です。香川県出身で岡山大学医学部卒業後、岡山大学病院で初期臨床研修を行い、その後岡山大学病院麻酔科蘇生科に入局いたしました。
初期臨床研修の2年間で麻酔科を13カ月選択しておりました。
- なぜ麻酔科?
私が麻酔科を志すきっかけとなったのは、大学4年時のクリニカルクラークシップにて麻酔科を研修した2週間でした。研修初日に遭遇した院内急変での対応から、ICUへ搬送しての蘇生処置に圧倒され、様々な病態の患者に対してのICU管理がとても魅力的に映ったのを今でも鮮明に覚えています。その後手術室での麻酔を研修しましたが、患者の状態を考察し循環動態に対して介入、その結果が迅速に得られる様子がとても面白いと感じました。その気持ちはずっと変わらず、研修医になって麻酔科13カ月コースへ進みました。
- 13ヶ月コースのメリット・デメリット
私は早く一人前になりたいという気持ちが強くあったため、研修医のうちから長く研修ができるこのコースを選択しました。その分、同期と比べて手技の上達は確かに早かったと思います。しかし、一番のメリットは大学で様々な上級医の先生の麻酔を学べたことだと思っています。大学病院は市中病院と比べて圧倒的に麻酔科医の数が多いです。その中で長く研修させていただいたため、たくさんの先生との関係を築くことができ、日々指導を受けることができました。それは大学で13カ月研修したからこそ得られる貴重な経験値だと思っています。
デメリットとして同期からは、他の科を研修していないという事を指摘されました。その点については当初の私もたくさん悩みました。研修医が研修科の選択をする際に一番気にすることは、「その科で何を身につけることができるか」ですが、それは必ずしも「その科を回っていなければ身につかない」ことではありません。どこで研修をしていようと本人のやる気が一番であるという事を、尊敬する上級医から諭されたことで、私は迷いなく13カ月の研修を選択し、それを終えた現在その選択に満足しています。
- 将来どんな麻酔科医になりたいか?
私は麻酔科を選択するにあたって、憧れた上級医の先生がいました。何事にも真面目に真摯に取り組むことによって、その先生のような麻酔科医になりたいと思っています。身近にそういった目標となる先生を見つけられたことも、私が麻酔科を選択して良かったと思った点であり、将来そのように誰かの目標となれる医師になれたらと思っています。
- まとめ
現在の日本の研修医制度では麻酔科を13カ月選択することはできなくなりましたが、岡山大学病院の研修システムを利用して、麻酔科を長期選択することは可能であり、麻酔科を志している学生・研修医の先生方に是非お勧めしたい選択肢だと思っています。どうしても文章で書ききれない想いがたくさんあるので、少しでも興味を持っていただけた方は、一度岡山大学麻酔科を見学に来ていただき、私に話しかけていただきたいです。
13ヶ月コースリポート
- 自己紹介
岡山大学出身、岡山大学病院で初期研修2年を行った医師3年目です。
初期研修2年間のうち必修や選択の期間を最大限に利用して麻酔科で13ヶ月研修を行いました。
- なぜ麻酔科?
学生のときに初めて実習を行った科が麻酔科で当時から縁を感じていました。学生教育も熱心で担当症例に関する知識面だけでなく、積極的に手技を行わせて頂ける環境が魅力的でした。
13ヶ月コースを選択した理由は、学生実習で回ったときに13ヶ月コースを選択していた初期研修の先輩方がイキイキと主体的に仕事をしていた姿を見て憧れたからです。
- 13ヶ月コースのメリット・デメリット
メリットとして、麻酔科の同期よりも麻酔科的な力が付いているため、レジデントになった早期から広い視野で日々の麻酔に取り組むことができる点が挙げられます。同期たちも他病院で麻酔科を多めに研修してはいるものの、大学病院で長く深く麻酔科研修を行っていた経験の差は大きかったです。
大学病院での研修は学生・初期研修医・レジデント・指導医の先生方と関わりを持ちながら行うため、上から頂くご指導はもとより、後輩達からの質問も成長につなげることができましたし、後輩を見守ることで今の自分の成長を実感することもできました。
また、初期研修時代には救急当直の際に重症患者への対応力が他の研修医より身についていると実感しました。
デメリットとしては、ICUを通して他科との関わりの多い科ではあるものの、コモンな疾患に対する内科的な診断力・総合力は伸ばしにくいと感じました。これは大学病院での研修のデメリットと言えるかもしれません。
- 将来どんな麻酔科医になりたいか?
今は日々の麻酔が楽しく、あらゆることに成長を感じている段階なので、サブスペシャリティ等についてははっきりと決まっていません。現時点では全ての麻酔が標準的にできることを目標に研修生活を送っています。
- まとめ
麻酔科13ヶ月コースを選択して麻酔科医としての歩みを始めたばかりですが、とても良い環境でのスタートを切れたと感じています。COVIDの影響で、学生や初期研修の方と直接お話しして魅力を伝えることが難しいのが非常に残念ではありますが、この文章が後輩達への何かしらの役に立てば幸いです。